その「人」の真価は、死んだ後に分かるもの?
こんにちは。
ヤマトです。
今回の記事は、ボクが30数年生きてきて、
辿り着いた考えをただひたすらに書いていきます。
さて突然なんですが、、
アナタは、人間の真価がいつ分かるか・・
分かりますか?
もっとわかり易く言えば、、
アナタの真価がいつ分かるか・・
分かりますか?
ココで言う”真価”という言葉の意味は・・
「アナタが周りからどう評価、どう思われていたか」
という意味あいです。
さて、どうでしょう?
いつだと思いますか?
ボクは、その「人」の真価は、、
その「人」が死んだ後に分かるもの
だと思っています。
そう。
だから、その人がどれだけの人に信頼され、
評価されていたかは、その人自身は分からないものだと思っています。
ボクがそんな風に思う様になったのにも、
実はキッカケがありました。
ボクが中学生くらいの時に、親戚のおじさんが亡くなりました。
そのおじさんは、会社を経営していて人脈も広くありました。
なので、お葬式には非常にたくさんの方が集まり、
その多さにビックリした憶えがあります。
そして、多くの人が故人の死を悲しみ、死を惜しみ、
故人の思い出話に花を咲かせていました。
そんな風景をボクは見て、中学生ながら
こう思いました。
「自分が死んだ時にも、
こんな多くの人に来てもらいたい」と・・。
当然ながら自分は死んでしまっているので、
その風景は見る事は出来ません。
見る事が出来ないので、本当に多くの人が来てくれているのか?
自分の死を悲しんでくれているのか?は分かりません。
でも、そんな風景を想いながら、
生きていく事は出来ます。
そんな風景を作る為には、自分はどういう風に生きていけば良いのか?
どんな風に人と接していけばいいのか?は考えられます。
当然、人に優しくし、思いやりを持って
接しなければ、そんな風景は作る事は出来ないでしょう。
そんな風に接したとしても、そんな風景を作る事は
出来ないかもしれませんが、しなければ100%出来ません。
おそらくボクのおじさんは、そんな事を
考えて生きていなかったでしょうけど、
そんな風に人に接していたから、
ボクが見た風景を作っていったんだと想います。
ま~何だか支離滅裂な文章になってきましたが、
人の真価は死んだ後に分かると思うし、
その為にも僕らは当たり前の様に・・
「人に優しく、人に尽くしていくべき」
なんだと思います。
では、また!